プロ歌手になったジェロ

ジェロ 本名 ジェローム・チャールズ・ホワイト・ジュニア。1981年9月4日、米ペンシルベニア州ピッツバーグ生まれ、26歳。大学卒業後、2003年に来日。その2カ月後にNHK「のど自慢」で合格。数々のカラオケ大会で優勝、準優勝をさらいスカウトされる。今年2月、シングル「海雪」でデビュー。きょう25日に演歌・歌謡曲のカバーアルバム「カバーズ」を出す。収録曲は「氷雨」「君恋し」「夜空」など7曲。

【米国生まれのニューヒーロー】
 ヒップホップのダンスもこなす米国生まれのニューヒーローが、日本の若者に「演歌のこぶしがカッコイイ」ことを教えてくれた。

 最初に覚えた演歌は、3年前に亡くなった日本人の祖母、多喜子さんが歌っていた美空ひばりの「越後獅子の唄」。多喜子さんは米兵と結婚して渡米した。

 「おばあちゃんに喜んでもらおうと、村田英雄さんの『無法松の一生』とか、二葉百合子さんの『岸壁の母』を覚えました。子供のころはメロディーだけで、歌詞の内容は理解していなかった。ただ、歌っている姿が魅力的で、すごく心をこめていることは伝わってきました」

 日本語は実に滑らかだ。演歌歌手になりたい一心で2003年に来日した。その前に地元ピッツバーグの大学でコンピューターを専攻したのも「簡単に演歌歌手になれるわけではない。いろんな仕事をしながらカラオケ大会に出たりして、日本語の勉強と演歌、それにダンスを続けよう」という強固な意志からであった。

【プロ入りの後押しをした恩人】
 3年前、大阪でコンピューター関連のエンジニアをしながらチャンスをうかがっていた。当時、足しげく通ったのが扇町公園近くの沖縄料理店「てぃーあんだ」。“おばぁ”と親しまれる店長の太田美子さん(70)が振り返る。

 「ウチの店の子とコンビでダンスを踊ってました。ふるさとを離れてタイヘンやなぁと思って、練習が終わるといつも『まかないを食べていきなさい』と誘っていたんです。ジェロ君は食べ終わると、こちらが『ええのに…』と言っても必ず洗い場に入って後始末をしてくれました」

 ある日、ジェロを誘って店のみんなとカラオケに行き、太田さんが十八番の「越後獅子の唄」を歌うと、いつの間にか隣から美声が聞こえてきた。

 「あまりにうまいので、10曲ぐらい歌ってもらって『あなたは歌手になりなさい』と言うたんです。私が言わんでもなっていたでしょうけど(笑)」

 太田さんは、ひそかに常連客のFMラジオ局のスタッフにジェロのテープを渡すなどプロ入りの後押しをした恩人の1人である。

 「デビューが決まると、わざわざ『明日、CDを出します』と報告に来てくれたので、大好きな角煮をふるまいました。また洗い場に行こうとする。ホンマにエエ子です。今、心配なのは、やせていく姿。睡眠と栄養だけには気をつけてほしいです」


【憧れの人は坂本冬美】
 ジェロの憧れの人は坂本冬美だ。来日直後にNHK「のど自慢」で「夜桜お七」を歌い合格したこともある。その坂本が言う。

 「ジェロ君に私のファンだと言われると、何だか気恥ずかしい感じですね。ジェロ君のブレークによって、演歌界が変わっていくのではないかと、私だけでなく、みんなが期待しています」

 作詞家、秋元康とのコンビで、デビュー曲「海雪」を作曲した宇崎竜童はジェロにこうアドバイスした。
 「アメリカのルーツを大切にして、これから自分なりのこぶしを見つけなさい」
 ジェロがしみじみ、つぶやいた。
 「光栄です。何年か経って、そうなれたらいいと思っています」


憑依と憑依体質
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